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東京高等裁判所 昭和60年(ネ)1186号 判決

控訴人 渡辺ひでの

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 大森清治

被控訴人 渡辺吉訓

右訴訟代理人弁護士 大浜高教

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  控訴の趣旨に対する答弁

控訴棄却

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原判決別紙物件目録(判決書一一枚目から一三枚目までを引用する。)記載二の土地(以下「本件土地」という。)は、同一の七五三〇番一の土地(登記簿上地積、当初九一二・三九平方メートル・分筆後の現在一一六・八五平方メートル)の一部である。けだし、七五三〇番一の土地は同番二の公衆用道路(市道「下の水東通り線」)西側に隣接しており、このことは甲第二号証のいわゆる公図写しにより明白であるところ、本件土地は、右公衆用道路の西側に隣接していてあたかも七五三〇番一の土地の一部に該当するからである。

2(一)  分筆前の七五三〇番一の土地は、もと訴外亡渡辺清治が所有していた。

(二) 清治は、明治四〇年一月二八日右七五三〇番一の土地を訴外亡渡辺竹四郎に売り渡した。

(三) 竹四郎は昭和一八年四月一七日隠居し、その長男亡渡辺和広が家督相続した。

(四) 和広は、昭和二一年一二月二〇日右七五三〇番一の土地を被控訴人に売り渡した。

3  控訴人渡辺ひでのは本件土地を訴外渡辺武治から買い受けてその所有権を取得したと主張し、控訴人小林虎馬三は本件土地を控訴人ひでのから賃借したと称して占有使用し、いずれも被控訴人の本件土地所有権を争っている。

4  よって、被控訴人は、所有権に基づき、控訴人らとの間において本件土地所有権の確認を、控訴人虎馬三に対して本件土地の明渡しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因事実1は否認する。本件土地はいわゆる公図からすれば七五三〇番一の土地の一部のように見えるが、それは必ずしも正確ではなく、七五三〇番一の土地は、公図の示す位置とは別異の場所に存在する。

2  請求原因事実2を否認し、同3を認める。

三  抗弁

仮に本件土地が七五三〇番一の土地の一部であるとしても、訴外渡辺武治は明治二九年一一月ころ本件土地の占有を始め、その占有を控訴人ひでのが昭和四三年一〇月一〇日承継し、同控訴人において本件土地を占有してきたので、昭和四九年一一月ころ同控訴人のため取得時効が完成した。同控訴人は、本訴において時効を援用する。なお、被控訴人は、本件土地を占有したことはない。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実は否認する。武治は、本件土地を占有したことは全くない。すなわち、前記竹四郎は、昭和五年ころ本件土地を含む分筆前の七五三〇番一の土地を訴外高山益良に賃借して引き渡し、それ以来同人が右七五三〇番一の土地を賃借人として占有し、本件土地は樹木を植えるなどして利用していたが、その死亡により子の高山達雄が引き続き右七五三〇番一の土地を賃借人として占有してきたところ、賃貸人の地位を承継した被控訴人は、昭和五二年一二月七日、そのうちの一部(分筆後の七五三〇番五の土地)を達雄に譲り渡し、本件土地を含むその余の部分は達雄から返還してもらったものである。

第三証拠関係《省略》

理由

一  請求原因について

1  《証拠省略》を総合すると、分筆前の七五三〇番一の土地と六一一一番の土地とは北東と南西の隣合せになっており、右両土地の南東側には六一〇七番一の土地があり、これとの境界は北東から南西に向かってほぼ直線状になっていること、昭和四九年三月には右両土地を横断し、六一〇七番一の土地との境界線から少し離れてこれに平行する帯状の部分が、市道「下の水東通り線」として認定されていたこと、右市道のうち右七五三〇番一の土地内にある部分は、昭和五六年五月に分筆されて同番の二になり、昭和六〇年三月には地目が公衆用道路に変更されたこと、本件土地は、右市道の北西側に隣接し、分筆後の七五三〇番一の土地の一部であり、そのほぼ南東隅に該当すること等の事実を認めるに十分である。《証拠省略》中には右認定に抵触する部分があるけれども、これらは、右認定に供した各証拠、特に市役所備付けの瑞穂村と称していたころの甲第九号証及び法務局出張所備付けの最近の甲第二号証の各図面に表示されている七五三〇番(甲第二号証にあっては、同番の一)及び六一一一番の両土地と六一〇七番一の土地との隣接の仕方並びに甲第一一号証の二に表示されている市道の位置や方向(これらによると、市道は、分筆前の七五三〇番一の土地を横切り南西に向かって六一一一番の土地に入るものと認定するほかはない。)に照らし信用することができず、ほかには、右認定に反する証拠はない。

2  《証拠省略》によれば、分筆前の七五三〇番一の土地は、訴外渡辺清治において明治二五年一月ころその所有権を取得したものであること、その後請求原因2の(二)ないし(四)の経過により、被控訴人がその所有権を取得したことが認められ、これに反する証拠はない。

3  請求原因3の事実は、当事者間に争いがない。

二  抗弁について

1  控訴人らは、訴外渡辺武治が明治二九年一一月ころ本件土地の占有を始めたとして控訴人ひでのが援用した二〇年の取得時効を主張し、右の占有の点に関する証拠としては、《証拠省略》があり、これらが信用できるのであれば、本件土地は、渡辺武治の祖父容治において昭和六、七年ころからその所有の六一〇七番一の土地に属するとして長男(武治からすれば父)元治とともに自ら耕作したり訴外高山益良に貸したりして占有してきたものであるところ、元治が昭和二九年一一月に死亡したので、容治は、その財産を元治の長男の武治に継がせる趣旨でそのころ右六一〇七番一の土地ほか五筆の土地を武治に贈与し、その際本件土地の占有も武治に承継させたという事実関係が認められるごとくである。

しかしながら、これらの証言及び供述は、次の2に掲げる各証拠に照らしいずれも信用することができない。特に証人高山梅乃は右の事実関係のうち戦前の事情を知っている重要な証人であるところ、その証言は、夫の益良が本件土地を元治から賃借したことはなく、本件土地を含めて分筆前の七五三〇番一の土地全体を昭和五年ころ以来当時の所有者渡辺竹四郎から賃借してきた旨供述し、元治からの賃借を一貫して否定していたにもかかわらず、証言の終わり近くになって突如としてこれを翻し、本件土地は元治から賃借した・竹四郎からは本件土地を除外して賃借したというものであり、しかも殊更本件土地のみを除外したについてのしかるべき理由の説明もなく、また供述を翻した理由の説明もないものであるから、同証言中元治からの賃借に関する部分は信用することができない。ほかには、右控訴人ら主張事実を認めるに足りる証拠はない。

2  かえって、《証拠省略》を総合すると、昭和五年ころ、本件土地を含む分筆前の七五三〇番一の土地の当時の所有者渡辺竹四郎は、これをその北西に接する二四坪の七五三〇番の土地とともに益良に賃貸して引き渡し、それ以来同人が賃借人として右二筆の土地全体を占有し、そのうちの本件土地は樹木を植えるなどして利用していたこと、右二筆の土地の賃貸人たる地位は、所有権の移転に伴い竹四郎から和広を経て被控訴人に承継されたこと、このような益良による現実の占有及び被控訴人による代理占有は昭和二九年一一月ころも続いていたものであり、武治がそのころ本件土地の占有を取得したことはないこと等の事実を認めることができる。

3  以上のとおりであるから、昭和二九年一一月ころの武治の本件土地占有開始を前提とする控訴人らの抗弁は、採用することができない。

三  前記一において説示した証拠によって認められ一部は争いのない請求原因事実によれば、控訴人らとの間において本件土地所有権の確認を、控訴人虎馬三に対して本件土地の明渡しを求める被控訴人の請求は理由があるから、これを認容した原判決は相当である。

よって、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条及び第九三条に従い、主文のように判決する。

(裁判長裁判官 賀集唱 裁判官 安國種彦 伊藤剛)

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